新聞・雑誌等への掲載

勝つ/東洋高圧(1)知識・熱意アピール-研究者のニーズ追求

2006.04.04
2006/04/04 日刊工業新聞


【74年創業】
 一品一様のモノづくり。物質を効果的に分解する「超臨界状態」をつくり出す超臨界装置トップの東洋高圧のモットーだ。研究者の実験用機器製造で確固たる地位を築いており、超臨界装置、オートクレーブ装置などのヒット商品のどれ一つとっても同じものはない。研究者のニーズを徹底して追求する受注システムと、それを支える技術力が東洋高圧の強さの秘密。
 東洋高圧は現社長の野口賢二郎が74年に創業した。70年に広島工業大学を卒業後、大阪の高圧バルブ・減圧弁メーカーのヤマト産業(大阪市生野区)で技術者として働いた。当時はカタログ販売全盛で、バルブも既製品とサイズが少しでも違えば価格が数倍に跳ね上がった。それでも特注品のニーズは絶えずあることを肌で感じた。野口はこれに特化し、自身の金属加工メーカーとの人脈を生かし、委託生産するビジネスモデルに確信を抱いて広島に帰り創業した。

【実験機器用主力に】
 当初、数年は独りで注文取りに走り回った。特注品のニーズを求め広島、岡山、水島(岡山県倉敷市)など重化学工業が集積する地域の企業研究所、大学を中心に攻勢をかけた。技術者時代に経験のあるバルブや減圧弁など、実験機器用の部品を主力にした。
 一番の武器となったのは、その時代に「使いやすい機械がほしいが、その詳細仕様をメーカーに伝えるのが苦痛。できれば研究に集中したい」という研究者のニーズを知っていたことだった。
 とはいえ、最初から受注できたわけではない。高圧バルブの知識と熱意をアピールし、ようやく小さな仕事の仕様書を受け取った。涙が出た。その足で製造委託先の金属加工メーカーを訪れ、製造。その製品を翌朝には自ら届けて相手を驚かせた。「ビジネスで成功するのに、誠実さに勝るものはない」と野口は語る。
 当時の仕事のシナリオは研究者からイメージを聞いて簡単なイラストにまとめ、野口が細部を詰めて加工業者に渡し、部品を完成する方式。研究者はイメージを伝えるだけで部品ができあがるという便利さが受け、受注が取れるようになっていった。

【遊学経験が自信に】
 野口がこうした苦労をいとわないのは、大学在学中の遊学経験が影響している。60年代、一人での海外旅行は今よりはるかに危険なイメージがあった。知り合いのない中、片言の英語で、米国でウェーターやガードマンなどさまざまな職を得た。1年間の米国暮らしで蓄えた貯金を携えて53ヶ国を旅行した。この経験を通じ、何をしても生きていけるという自信がついた。会社創業の夢もこの時に抱いたという。

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