新聞・雑誌等への掲載

勝つ/東洋高圧(2)一貫受注システム確立

2006.04.05
2006/04/05 日刊工業新聞


【時流に乗る】
 創業初期の東洋高圧を支えたのは、基礎研究用の実験プラント向け装置だ。20~30年後を見据えたこのビジネスが大きくなった理由は社長の野口賢二郎の遊学先、米国にあった。
 高度成長期までは米のさまざまな研究機関が基礎研究のデータを日本へ無償提供してくれていた。だが高度成長期を経てデータを生かした製品化能力に優れる日本を警戒し、提供はなくなった。この結果、日本は大学と企業の研究機関が自前の設備でデータを蓄積する必要に迫られた。「ウチはその時流に乗れた、ということだ」と野口は振り返る。
 研究者を口説き落とす一品一様スタイルの核、一貫受注システムができ上がったのがこのころ。「研究者とは信頼関係がもっとも大事。とことん使えるものでなくては信頼は崩れる」(野口社長)。原則として一つの注文があると、最初(相談)から最後(設置現場立ち会い)まで担当者を固定し、やりとりを重ねてとことん面倒を見るのが一品一様。そしてそれを支えるのが一貫受注システムだ。設計、組み立て、機械加工、制御装置、現場立ち会い。これらのワンストップサービスを実現したことが研究者との信頼の礎になっている。

【立地にこだわる】
 ワンストップサービスを実現できたのは、技術者の実力と「広島が田舎だったから」と野口は分析する。「これが東京や大阪なら分業が確立されて、それぞれにトップがいる。たとえ力があっても一貫受注は無理だっただろう」。一貫受注は現在につながる技術力の蓄積という副産物も生んだ。個人のスキルが磨かれ、東洋高圧は少人数企業ながら精鋭ぞろいになっていった。
 このスタイルのためにこだわったのは立地。東洋高圧は業容拡大に伴いこれまで広島市中区、南区、西区と本社を移してきたが、一貫して「JR広島駅から車で10分以内」を保った。納入実績を積み重ね、口コミで全国から問い合わせが入り出したころ、この立地が大きく貢献した。関東から来た顧客に「広島駅に近いのが良かった」と打ち明けられたこともあった。「ウチのようなタイプの会社は、来てもらって何ができるかを見てもらうのが一番」(同)と語る。

【やりとりを保存】
 創業した74年から、顧客とのやりとりは相談段階の手紙や図面から、部品や機械の完成までの過程すべてを保存してある。目的は機械のトラブル対応もあるが、似たパターンの仕事を進める時の判断材料にもなる。「当時のまま残すことが大事」(同)。本社の書庫にある分厚いファイルの山は、蓄積してきた技術と並ぶ東洋高圧の財産だ。

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